2017-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カーネーション

今度のNHKの朝の連続ドラマ、カーネーションが、私の出身地の岸和田が舞台で、コシノアヤコを主人公にしていると聞いて、ネットで見る。コシノジュンコは、私の出身高校の卒業生中の有名人。岸和田と言えば、電柱や屋根に激突するようなだんじり祭りや、言葉使いと気性が荒いことで有名で、確かにそのとおりなのだが、住んでいるのは普通の人々です(でも東京や関東の人たちとは対人関係その他もろもろの感覚が全然違う)。まあいろいろ思うことが他にもあるのだけれど、岸和田弁で繰り広げられるドラマを見ながら、地方性ということについて考える。私の母語は岸和田弁で、それに大学から日常的に使い始めた標準語が被さっている。本当はその上に、せっかく大学であれだけ英語教育を受けたのだから英語が被さればよかったのだろうけれど、それはあまりうまくいかず、私の基本的な思考言語は日本語の標準語に落ち着いた。それにヘブライ語が被さって、今の思考言語は日本語標準語とヘブライ語をいったりきたり、という感じになっている。話すときには、必要に応じて関西のイントネーションを出すこともあります。それで、東京の人は、東京で起きていることが日本の標準だと思っているし、首都圏から見れば方言を使うところはすべて「地方」なのかもしれないが(この「地方」という日本語の使い方は、日本語テキストを読む学生にはなかなか理解が困難。首都圏と対比したときの「地方」は、エリアではなく、非首都圏という意味になるから)、しかし東京というのはそれはそれで、ある種の地方性、と言うと誤解を招くのであれば、特殊性をもったところである。あれは、東京(関東)に特有の文化である。私は東京の、しかも私の出身大学に来るような男の子たちを見て、こんなに繊細な/ややこしい感覚をもった、そしてもっていることを隠さない(隠せない?)男の子たちが世の中にいるんだ、とそれはそれは驚いた。いや、別に岸和田の人が繊細ではない、と言っているわけではなくて、気を使っている部分が違うのである。それで、とりあえずざっくり言ってしまえば、私は、東京の感覚を経由せず、岸和田からそのままイスラエルに来たほうが、ひょっとしたらこちらに順応しやすかったのではないか、と思うことがよくある。両者が似ている、というわけでもないのだが、このような濃ゆい文化に対抗するには、東京(関東)の感覚だとなかなかツライものがあるのではないかと思うので。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

levyyamamori

Author:levyyamamori
山森みか
Mika Levy-Yamamori Ph.D.

以前の日記は
http://www.geocities.jp/mikayamamori/

コメントは承認制なので反映に時間がかかるかもしれません。
連絡は、yamamori @ post.tau.ac.il まで (アットは半角、スペース抜きで)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (228)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。